1985年(昭和60年)8月24日、1985年夏季ユニバーシアードが開幕。テーマは「友好と平和」、メイン会場は神戸総合運動公園陸上競技場、106カ国、4,400人の選手・役員が参加し、10競技120種目が行われた。
80s!
1985年(昭和60年)8月24日、1985年夏季ユニバーシアードが開幕。テーマは「友好と平和」、メイン会場は神戸総合運動公園陸上競技場、106カ国、4,400人の選手・役員が参加し、10競技120種目が行われた。
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1989年(平成元年)8月23日、当時ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)で、独立運動の一環として、約200万人が参加したデモ活動が行われた。バルトの道と呼ばれるこの活動は、エストニア、ラトビア、およびリトアニアのそれぞれの首都から首都を約200万人の民衆が手をつなぎ、およそ600キロメートルの人間の鎖を形成した。
バルト三国は、1990年3月にソビエト連邦からの独立回復宣言を行い、1991年にソ連が承認、日本は1991年9月6日にバルト三国を国家として承認し、10月10日に「新たな外交関係」を開設した。
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1981年(昭和56年)8月22日、台湾・台北松山空港発高雄行きの遠東航空103便ボーイング737-200が、台北を離陸して14分後、台北の南南西約150キロメートルの苗栗県三義郷上空高度22,000フィート(6,700メートル)を巡航中に突然空中分解し、山中に墜落した。
この事故で乗員6名、乗客104名の合わせて110名全員が死亡した。乗客には日本人18名も含まれており、そのひとりが作家の向田邦子だった。著名人の突然の死もあって、この事故は日本にも大きな衝撃を与えた。
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1986年(昭和61年)8月21日、カメルーンのニオス湖で「湖水爆発」という現象が起こった。「湖水爆発」とは、湖の水に溶け込んだ二酸化炭素が、なんらかの原因により急激にガス化し、湖水とともに噴き出す現象のこと。ニオス湖で起こった湖水爆発では、湖面から発生した大量の二酸化炭素が、近隣の村へと流れ込み住民約1800名、家畜約3,500頭が犠牲となった。
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1987年(昭和62年)8月20日、マガジンハウスが月刊誌の『平凡』と週刊誌の『週刊平凡』の休刊を発表。週刊平凡は、1987年(昭和62年)10月6日発行の「第29巻第36号」をもって休刊となった。月刊「平凡」の最終号は、10月24日発売の「1987(昭和62)年12月号」だった。
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1980年(昭和55年)8月19日の午後9時過ぎ、新宿駅西口バスターミナル乗り場で発車待ちのバスの車内に、男が火のついた新聞紙とガソリンの入ったバケツを投げ込んだ。バスは一瞬のうちに燃え広がり、6人が死亡、14人が重軽傷を負う惨事となった。
38歳の犯人の男は、駅前広場に通じる階段で酒を飲んでいたところ、何者かに「出ていけ」といわれ、かっとなって犯行に及んだという。男は東京高裁で無期懲役を言い渡され、1997(平成9)年10月7日、千葉刑務所内で自殺した。
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1981年(昭和56年)8月18日、日産から6代目となるスカイライン、R30型が登場した。発売時は、直4のZ18S/E、Z20S/E型を搭載するTI系と、直6のL20E/ET型、ディーゼルLD28型を載せるGT系での展開だったが、2ヶ月後の1981年10月に待望のDOHCエンジン(FJ20E型)を搭載したスカイラインRSが追加され、話題となった。
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1982年(昭和57年)8月17日、ドイツ・ハノーファー近くにあるフィリップスの工場dで、世界で初めてのCDの製造が開始されました。タイトルはABBAの「The Visitors」。
CDの発売は、1982年10月1日。プレイヤーはSONYと日立・DENONから、CDは総計60タイトルが発売となり、なかでもビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街(35DP1)」が世界初のCDと呼ばれている。
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1979年(昭和54年)8月16日、箕島対星稜、延長18回の死闘——この試合は高校野球史上最高の試合とされている。
阪神甲子園球場で行われた第61回全国高等学校野球選手権大会の3回戦、和歌山代表・和歌山県立箕島高等学校対石川代表・星稜高等学校の試合は、延長18回、奇跡的な展開が試合の流れを二転三転、3時間50分の大熱戦となった。
この年の春、第51回選抜高等学校野球大会で優勝の箕島は、4対3でこの試合を制し、史上3校目、公立高校としては初の春夏連覇を達成した。
16時6分に開始されたこの試合は、NHKが試合開始から18時まで、18時から試合終了まではNHK教育テレビで放映された。NHK教育テレビ放映時間中に、視聴率29.4%を記録した。
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1985年(昭和60年)8月15日、戦後40年目の終戦の日、中曽根康弘首相が閣僚17人とともに靖国神社に参拝した。これまでの「私人」としてではなく、戦後の首相としては初めて「内閣総理大臣」としての公式参拝となった。これまでの首相参拝は、政教分離の立場から「おはらい」や玉ぐし奉呈など儀式はせず、一礼するだけにとどめていたが、今回は政府見解を変更し、生花を本殿に供え、代金は公費で支払った。公式参拝に対して野党各党や中国・韓国などは厳しく反発した。
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