年: 2021年

  • 1991年8月14日

    1991年8月14日

    1991年(平成3年)8月14日、日本電信電話株式会社の出資によりエヌ・ティ・ティ・移動通信企画株式会社(現在の株式会社NTTドコモ)が設立。

    80s!

  • 1986年8月13日

    1986年8月13日

    1986年(昭和61年)8月13日、日本の測地実験衛星「あじさい」が、H-Iロケット試験機1号機により種子島宇宙センターから打ち上げられた。

    80s!

  • 1985年8月12日

    1985年8月12日

    1985年(昭和60年)8月12日、日航ジャンボ機墜落事故——羽田空港発の日本航空123便が御巣鷹山(群馬県多野郡上野村の山中)に墜落した。乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者は4人であった。

    80s!

  • 1989年8月11日

    1989年8月11日

    1989年(平成元年)8月11日、潜水調査船「しんかい6500」が三陸沖・日本海溝での潜航能力試運転においてテストパイロットを務めた山内満喜男により、設計上の最大潜航深度6,527メートルの海底に到達した。

    1989年1月19日、三菱重工業神戸造船所(兵庫県神戸市兵庫区)において進水式が行われ、一般公募により「しんかい6500」と命名された。

    1990年に母船を含むシステムが完成、翌1991年より調査潜航を開始。日本近海だけでなく、太平洋や大西洋、インド洋などで、海底地形、深海生物などの調査を行っており、2007年には通算1000回目の潜航を達成した。

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  • 1985年8月10日

    1985年8月10日

    1985年(昭和60年)8月10日、服部道子がゴルフの全米女子アマで優勝。当時史上最年少、日本人としては初の快挙だった。

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  • 1987年8月9日

    1987年8月9日

    1987年(昭和62年)8月9日、プロ入り1年目の中日の近藤真一投手が、ナゴヤ球場で行われた対巨人戦でノーヒットノーランを達成。初登板・初先発でのノーヒットノーラン達成は史上唯一。

    巨人の先発は、駒田徳広、岡崎郁、篠塚利夫、 原辰徳、 クロマティ、吉村禎章、中畑清、山倉和博 、宮本和知の9人。先頭打者の駒田徳広は三球三振、最後の打者・篠塚利夫は見逃し三振だった。

    前年の1986年、高校3年生の近藤は、享栄高のエースとして、春と夏の甲子園大会に出場、1986年(昭和61年)11月20日にホテルグランドパレスで行われた第22回のプロ野球ドラフト会議の目玉選手であった。ヤクルト、中日、日本ハム、阪神、広島の5球団が1位指名、監督就任早々の中日星野監督が、見事に引き当てた。

    一躍時の人となった近藤は2度目の登板となった16日の対広島戦でも7回途中まで2失点で2勝目。さらに3度目の登板では対阪神戦では1安打完封を記録。このシーズンは11試合に登板、4勝5敗の成績だった。しかし、入団3年目に肩を故障し、1994年に引退、通算成績は12勝17敗だった。

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  • 1986年8月8日

    1986年8月8日

    1986年(昭和61年)8月8日、アメリカで映画「スタンド・バイ・ミー」が公開された。公開当初は全米16館という限定規模での公開だった。しかしこの作品は予想外にヒットし、公開から2週間後には上映館は745館に拡大、ランキングでは2位を記録した。その後、上映館は848館にまで増え、アメリカだけで5200万ドルを売り上げる大ヒット作となった。日本では1987年(昭和62年)4月18日に公開された。

    映画の原作は1982年に発表されたスティーヴン・キングの中編小説「恐怖の四季」の中の「The Body(秋の目覚め)」。事故死した少年の死体を捜すために初めて町を出た4人の少年の夏の思い出をノスタルジックに描いている。監督はロブ・ライナー。主題曲ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」は今も耳に残る名曲のひとつだ。

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  • 1985年8月7日

    1985年8月7日

    1985年(昭和60年)8月7日、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構/JAXA)は、日本人初の宇宙飛行士3人を発表した。

    第1期生として難関を突破したのは、北海道大学助教授の毛利衛、慶応大学医学部助手の向井千秋、NASA研究員の土井隆雄の3人だった。

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  • 1991年8月7日

    1991年8月7日

    1991年(平成3年)8月7日、新日本プロレスの真夏の祭典「G1 CLIMAX」第1回大会が始まった。期間は8月11日まで。第1回大会の決勝は、蝶野正洋 vs 武藤敬司。蝶野が勝利し、優勝した。参加した選手は8名、ふたつのブロックに分かれてリーグ戦を行い、それぞれの1位が決勝に進出し、優勝決定戦を行うスタイルだった。

    Aブロックの参加選手は、武藤敬司、藤波辰爾、スコット・ノートン、ビッグバン・ベイダー。Bブロックの参加選手は、蝶野正洋、橋本真也、クラッシャー・バンバン・ビガロ、長州力。

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  • 1981年8月6日

    1981年8月6日

    1981年(昭和56年)8月6日、この日、香川県三豊郡仁尾町(現在の三豊市)の電源開発・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の太陽熱発電が行われた。オイルショック後、石油に代わる新エネルギーの開発を目指して国が進めたサンシャイン計画の一環で、瀬戸内海に面する日照に恵まれた塩田跡地に100億円の巨費を投じて実証プラントが建設された。多数の鏡で集めた太陽熱で発生させた蒸気でタービンを回し、1000キロワットの発電に成功した。

    8月6日は「太陽熱発電の日」とされている。

    この場所は日照量が少なく、最大出力が2000kWと、実用になる程度の大規模な発電ができなかったため、この発電所での実験は1985年に中止された。

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  • 1984年8月5日

    1984年8月5日

    1984年(昭和59年)8月5日、ロサンゼルス・オリンピックで史上初、五輪での女子マラソンが正式種目として開催された。優勝は地元アメリカのジョーン・ベノイト、記録は2時間24分52秒だった。2位がグレテ・ワイツ(ノルウェー)、3位がロザ・モタ(ポルトガル)だった。日本からは2人の女性が出場、佐々木七恵が19位、増田明美は16kmで棄権となった。

    このレースで印象に残るのが、スイスのガブリエラ・アンデルセン(当時39歳)のゴールシーンだ。1位の選手がゴールしてから20分以上が経過、スタジアムに帰ってきたガブリエラ・アンデルセンは、脱水症状で意識も危ういような状態、左右によろめき、倒れそうになりながらも歩を進め、ゴールを目指した。そばに駆け寄る係員をやんわりと拒否、自力での完走を意思表示、37位という記録でゴールした。スタジアムからは賞賛の拍手が送られた。

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