カテゴリー: 1986年 / 昭和61年

  • 1986年4月8日

    1986年4月8日

    1986年(昭和61年)4月8日、昼の12時過ぎ、歌手の岡田有希子(当時18歳)が、東京都新宿区四谷にあったサンミュージック本社ビルの屋上から飛び降り自殺した。岡田有希子はポスト松田聖子として注目を集めており、そのニュースの衝撃は非常に大きく、後を追う若者が続出した。テレビではゆかりのある芸能人自殺を思いとどまるように呼びかけていた。

    岡田有希子のデビューは1984年(昭和59年)4月21日、デビュー曲は「ファースト・デイト」、オリコンの最高位は20位、この楽曲はグリコ「カフェゼリー」のCMに起用された。デビュー当時のキャッチコピーは「いつまでも、一緒にいてね。ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」。

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  • 1986年3月27日

    1986年3月27日

    1969年(昭和44年)1月9日から続いていた長寿番組「クイズタイムショック」が1986年(昭和61年)3月27日の放映で終了となった。毎週木曜日、19:00からの30分番組で、放映回数は全888回だった。初代の司会は田宮二郎(1969年1月9日 – 1978年9月28日)、2代目の司会は山口崇(1978年10月5日 – 1986年3月27日)だった。

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  • 1986年の邦楽アルバム年間ヒットチャート

    1986年の邦楽アルバム年間ヒットチャート

    順位タイトルアーティスト
    1安全地帯IV安全地帯
    2DA・DI・DA松任谷由実
    3REBECCA IVレベッカ
    4NIPPON NO ROCK BANDKuwata Band
    5SUPREME松田聖子
    6FIRST FINAL杉山清貴&オメガトライブ
    7FALL IN LOVE小林明子
    8Lovin’ you渡辺美里
    9BEST中森明菜
    10MY BEST THANKS中森明菜
    11ポケット・ミュージック山下達郎
    12フラワーチェッカーズ
    13beyond…杉山清貴
    14トゥルー・ブルーマドンナ
    15シーズン・イン・ザ・サンチューブ
    16イン・スクエア・サークルスティーヴィー・ワンダー
    17不思議中森明菜
    18TIMEレベッカ
    19Navigator1986 オメガトライブ
    20J.BOY浜田省吾
    21リアリスティック稲垣潤一
    22MODERN TIME吉川晃司
    23そよ風の贈りものホイットニー・ヒューストン
    24FAIR CHILD中村あゆみ
    25俺たちNO-NO-NOC-C-B

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  • 1986年の邦楽シングル年間ヒットチャート

    1986年の邦楽シングル年間ヒットチャート

    順位タイトル歌手名
    1CHA-CHA-CHA石井明美
    2DESIRE中森明菜
    3仮面舞踏会少年隊
    4Ban Ban BanKuwata Band
    5My Revolution渡辺美里
    6恋におちて小林明子
    7ジプシー・クイーン中森明菜
    8スキップ・ビートKuwata Band
    9OH!! POPSTARチェッカーズ
    10青いスタシオン河合その子
    11Song for U.S.Aチェッカーズ
    12ダンシング・ヒーロー荻野目洋子
    13冬のオペラグラス新田恵利
    14バレンタイン・キッス国生さゆり
    15MERRY X’MAS IN SUMMERKuwata Band
    16シーズン・イン・ザ・サンチューブ
    17バナナの涙うしろ指さされ組
    18君は1000%1986 オメガトライブ
    19悲しみよこんにちは斉藤由貴
    20熱き心に小林旭
    21なんてたってアイドル小泉今日子
    22恋のロープをほどかないで新田恵利
    23じゃあねおニャン子クラブ
    24季節はずれの恋吉沢秋絵
    25Fin中森明菜

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  • 1986年(昭和61年)の年表

    1986年(昭和61年)の年表

    [timeline title=”1986年(昭和61年)の日々の出来事”]
    [ti label=”1月15日” title=”慶応大学、優勝”]東京・国立競技場で行われたラグビー日本選手権にて、慶応大学が18対13でトヨタ自動車を破り優勝。[/ti]
    [ti label=”1月12日” title=”My Revolution”]渡辺美里、4thシングル「My Revolution」 をリリース。(TBS系ドラマ「セーラー服通り」の主題歌)オリコンチャートの第1位を獲得。[/ti]
    [ti label=”1月28日” title=”チャレンジャー、爆発”]アメリカでスペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げ直後に爆発、乗組員7人が死亡。[/ti]
    [ti label=”2月1日” title=”中学2 年生、いじめを苦に自殺”]東京都中野区立富士見中学の2年生、鹿川裕史君、いじめを苦に首吊り自殺。[/ti]
    [ti label=”4月1日” title=”雇用機会均等法”]雇用機会均等法施行。[/ti]
    [ti label=”4月5日” title=”清原和博、公式戦デビュー”]清原和博(PL学園→西武ライオンズ)、デビュー戦となった開幕第2戦、第2打席、南海ホークス・藤本修の初球をホームラン。この年、清原は、打率3割4厘、ホームラン31本、打点78の成績を残し、パ・リーグの新人王に。[/ti]
    [ti label=”4月08日” title=”岡田有希子、飛び降り自殺”]アイドル歌手の岡田有希子、飛び降り自殺。[/ti]
    [ti label=”4月18日” title=”カックラキン大放送!!、最終回”]「カックラキン大放送!!」、最終回。(放映開始は、1976年04月02日)[/ti]
    [ti label=”4月26日” title=”チェルノブイリ原発事故”]チェルノブイリ原発事故発生。[/ti]
    [ti label=”5月8日” title=”イギリス皇太子夫妻来日”]イギリス皇太子夫妻来日。[/ti]
    [ti label=”5月27日” title=”ドラゴンクエスト”]ファミコン用ゲームカートリッジ「ドラゴンクエスト」(エニックス)、発売。[/ti]
    [ti label=”5月28日” title=”桑田真澄、”]桑田真澄(PL学園→読売ジャイアンツ)、初先発。ランディ・バースに一発を浴びKO。[/ti]
    [ti label=”7月1日” title=”写ルンです”]富士写真フィルム、フジカラー「写ルンです」、発売。24枚撮りで1,380円。[/ti]
    [ti label=”7月25日” title=”男女7人夏物語”]TVドラマ「男女7人夏物語」、放映開始。[/ti]
    [ti label=”8月2日” title=”天空の城ラピュタ”]アニメ映画「天空の城ラピュタ」(宮崎駿監督作品)、劇場公開。[/ti]
    [ti label=”8月8日” title=”元横綱の輪島、プロレスデビュー”]元横綱の輪島、全日本プロレスのジャイアント馬場とタッグを組み、米国カンザスシティーにて、プロレス界にデビュー。(日本時間では09日)[/ti]
    [ti label=”9月6日” title=”土井たか子、社会党党首に”]社会党委員長選挙で土井たか子が初の女性党首に。[/ti]
    [ti label=”9月24日” title=”欽ちゃんのどこまでやるの!、最終回”]「欽ちゃんのどこまでやるの!」、最終回。(放映開始は、1976年10月24日)[/ti]
    [ti label=”9月26日” title=”男女7人夏物語、最終回”]TVドラマ「男女7人夏物語」、最終回。[/ti]
    [ti label=”10月2日” title=”X68000″]シャープ、東京・晴海で開催されたエレクトロニクスショーにて「X68000」を発表。[/ti]
    [ti label=”10月27日” title=”山本浩二、現役引退”]広島カープの山本浩二、現役引退。[/ti]
    [ti label=”10月29日” title=”NTT株、1,197,000円”]NTT株が一般に売り出される。1株1,197,000円。[/ti]
    [ti label=”11月10日” title=”Bruce Springsteen、The Live 1975-1985″]Bruce Springsteen、初のライヴ・アルバム「The Live 1975-1985」、全米で発売。アナログ盤は5枚組。[/ti]
    [ti label=”11月14日” title=”太陽にほえろ”]TVドラマ「太陽にほえろ」、最終回。[/ti]
    [ti label=”11月15日” title=”若王子信行、誘拐”]フィリピン・マニラ市郊外で、三井物産マニラ支店長の若王子信行氏(55歳)が武装した5人組に誘拐される。[/ti]
    [ti label=”11月21日” title=”三原山、噴火”]伊豆・大島の三原山、209年ぶりに噴火。約1万人の全島民、島外へ避難。[/ti]
    [ti label=”12月9日” title=”ビートたけし、逮捕”]ビートたけしとたけし軍団、写真誌「フライデー」編集部に殴り込む。現行犯逮捕。[/ti]
    [ti label=”12月6日” title=”トップガン”]映画「トップガン」(主演/トム・クルーズ)、劇場公開。メグ・ライアンも出演してました。[/ti]
    [/timeline]

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  • 1986年の10大ニュース

    1986年の10大ニュース

    英チャールズ皇太子とダイアナ妃が来日

    1986年(昭和61年)5月8日、大阪国際空港に、イギリスのチャールズ皇太子とともにダイアナ妃が降り立ちました。当時24歳のダイアナ妃の初来日は「ダイアナ・フィーバー」と呼ばれ、日本中に社会現象を巻き起こしました。5月11日は、東京・青山から元赤坂までオープンカーでパレードし、沿道には王太子夫妻を一目見ようと約9万人もの人出が殺到したという。

    パンダの赤ちゃん、トントン誕生

    1986年(昭和61年)6月1日、東京・上野動物園にて、人工授精によりホアンホアンが妊娠し、赤ちゃんパンダが誕生した。名前は公募され、応募数は27万通の中からトントンが選ばれた。トントンは順調に成長し、同年12月16日から一般公開が開始された。

    ハレー彗星が76年ぶりの地球接近

    1986年(昭和61年)2月9日、約76年周期で地球に近づくハレー彗星が、1910年以来となる最接近を迎えました。ハレー彗星は古くから人類に目撃されていた大彗星で、最古の記録は紀元前240年の『史記』「秦始皇本紀」に遡るとされています。ハレー彗星が周期的に地球に接近していることを発見したのは、イギリスの天文学者エドモンド・ハレー(Edmond Halley、1656-1742年)で、1682年に現れた彗星が、1607年と1531年に現れた彗星と同じものであることを突き止めました。さらに、1705年には、天体力学の計算から、1757年にまたこの彗星がやってくることを予言しています。ハレーはこの予言の年を待たずに、1742年に亡くなりましたが、ほぼ予言どおりの1759年に彗星が現れたことで、この彗星はハレー彗星と呼ばれるようになったそうです。

    三原山大噴火、全島民が避難

    1986年(昭和61年)11月15日、伊豆大島の三原山で大規模な噴火が始まった。
    7月から観測されはじめた微弱な地震が、8月から11月にかけて21回の有感地震を含む規模になってきました。そして11月12日、南側火口壁で噴気が認められ、15日17時25分ごろ三原山の火孔南壁で噴火が始まりました。やがて深さ約230m、直径約300mの火孔が噴出物で一杯となり、19日10時35分ごろ火口の北西縁を越え、溶岩流となってカルデラ床まで流れ下りました。11月21日には、火口やカルデラの底面のほか、山の側面の割れ目からも噴火が始まりました。溶岩流が集落に迫り、強い揺れが連続したため、島民のほぼ全数となる約1万人が、 島外に避難することになりました。

    ビートたけし、フライデー襲撃事件

    1986年(昭和61年)12月9日、お笑いタレントのビートたけし(北野武)をはじめ、たけし軍団ら12人が写真週刊誌『フライデー』 (講談社)の編集部を襲撃した。当時、たけしが親密交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に対し、『フライデー』の契約記者が強引な取材を行ったことがきっかけと言われている。たけしらは住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕された。たけしら12人は、犯罪の事実を認め反省、逃亡の恐れもないとされ、当日の夕方に釈放された。この事件が、過激な写真週刊誌の報道姿勢に対し、厳しい目を向けられるきっかけとなった。事件後の当時の政治家たちの発言を引用しておこう。後藤田正晴官房長官、「写真週刊誌の取材の行き過ぎもあり、ビート君の気持ちはよくわかる。かといって直接行動に及ぶのは許されることではない」。塩川正十郎文相、「最近の週刊誌は刺激もかなり露骨だ。表現の自由が保障されているからといって、それが特権的なものと思ってはいけない。暴力を振るうなどということは、民主主義社会では許されるべきではない。しかし出版社は社会的に容認される限度内の取材をすべき」。

    チェルノブイリ原子力発電所事故

    1986年(昭和61年)4月26日、 ソビエト社会主義共和国連邦の構成国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で、爆発事故が発生した。爆発とその後の火災により、14エクサベクレルの放射性物質が大気中に放出され、大惨事となった。のちに決められた国際原子力事象評価尺度(INES)では深刻な事故を示すレベル7に分類された。

    日本初の女性党首誕生

    1986年(昭和61年)7月6日に行われた衆参同日選挙で、日本社会党は大敗を喫した。選挙に臨んだ石橋政嗣委員長以下執行部はその責を負い、総辞職を表明した。後継委員長の選出にあたり、「女性党首で思い切ったイメージ・チェンジを」とする意見があり、これを軸に党三役による党内調整が進められたが、難航した。委員長選挙は、8月18日に委員長選挙出馬を表明した上田哲元教宣局長と、党三役から委員長選出馬要請を受け出馬表明した土井たか子副委員長の両者で争われることになった。社会党員86,000人による選挙の結果、土井たか子が圧勝。土井たか子は、日本の政党で初めての女性党首隣、9月8日に開かれた第51回社会党臨時大会で、第十代委員長に就任した。就任時に発した「やるっきゃない(やるしかない)」は、1986年日本新語・流行語大賞特別賞を受賞した。