1986年の10大ニュース

1986年の10大ニュース

英チャールズ皇太子とダイアナ妃が来日

1986年(昭和61年)5月8日、大阪国際空港に、イギリスのチャールズ皇太子とともにダイアナ妃が降り立ちました。当時24歳のダイアナ妃の初来日は「ダイアナ・フィーバー」と呼ばれ、日本中に社会現象を巻き起こしました。5月11日は、東京・青山から元赤坂までオープンカーでパレードし、沿道には王太子夫妻を一目見ようと約9万人もの人出が殺到したという。

パンダの赤ちゃん、トントン誕生

1986年(昭和61年)6月1日、東京・上野動物園にて、人工授精によりホアンホアンが妊娠し、赤ちゃんパンダが誕生した。名前は公募され、応募数は27万通の中からトントンが選ばれた。トントンは順調に成長し、同年12月16日から一般公開が開始された。

ハレー彗星が76年ぶりの地球接近

1986年(昭和61年)2月9日、約76年周期で地球に近づくハレー彗星が、1910年以来となる最接近を迎えました。ハレー彗星は古くから人類に目撃されていた大彗星で、最古の記録は紀元前240年の『史記』「秦始皇本紀」に遡るとされています。ハレー彗星が周期的に地球に接近していることを発見したのは、イギリスの天文学者エドモンド・ハレー(Edmond Halley、1656-1742年)で、1682年に現れた彗星が、1607年と1531年に現れた彗星と同じものであることを突き止めました。さらに、1705年には、天体力学の計算から、1757年にまたこの彗星がやってくることを予言しています。ハレーはこの予言の年を待たずに、1742年に亡くなりましたが、ほぼ予言どおりの1759年に彗星が現れたことで、この彗星はハレー彗星と呼ばれるようになったそうです。

三原山大噴火、全島民が避難

1986年(昭和61年)11月15日、伊豆大島の三原山で大規模な噴火が始まった。
7月から観測されはじめた微弱な地震が、8月から11月にかけて21回の有感地震を含む規模になってきました。そして11月12日、南側火口壁で噴気が認められ、15日17時25分ごろ三原山の火孔南壁で噴火が始まりました。やがて深さ約230m、直径約300mの火孔が噴出物で一杯となり、19日10時35分ごろ火口の北西縁を越え、溶岩流となってカルデラ床まで流れ下りました。11月21日には、火口やカルデラの底面のほか、山の側面の割れ目からも噴火が始まりました。溶岩流が集落に迫り、強い揺れが連続したため、島民のほぼ全数となる約1万人が、 島外に避難することになりました。

ビートたけし、フライデー襲撃事件

1986年(昭和61年)12月9日、お笑いタレントのビートたけし(北野武)をはじめ、たけし軍団ら12人が写真週刊誌『フライデー』 (講談社)の編集部を襲撃した。当時、たけしが親密交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に対し、『フライデー』の契約記者が強引な取材を行ったことがきっかけと言われている。たけしらは住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕された。たけしら12人は、犯罪の事実を認め反省、逃亡の恐れもないとされ、当日の夕方に釈放された。この事件が、過激な写真週刊誌の報道姿勢に対し、厳しい目を向けられるきっかけとなった。事件後の当時の政治家たちの発言を引用しておこう。後藤田正晴官房長官、「写真週刊誌の取材の行き過ぎもあり、ビート君の気持ちはよくわかる。かといって直接行動に及ぶのは許されることではない」。塩川正十郎文相、「最近の週刊誌は刺激もかなり露骨だ。表現の自由が保障されているからといって、それが特権的なものと思ってはいけない。暴力を振るうなどということは、民主主義社会では許されるべきではない。しかし出版社は社会的に容認される限度内の取材をすべき」。

チェルノブイリ原子力発電所事故

1986年(昭和61年)4月26日、 ソビエト社会主義共和国連邦の構成国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で、爆発事故が発生した。爆発とその後の火災により、14エクサベクレルの放射性物質が大気中に放出され、大惨事となった。のちに決められた国際原子力事象評価尺度(INES)では深刻な事故を示すレベル7に分類された。

日本初の女性党首誕生

1986年(昭和61年)7月6日に行われた衆参同日選挙で、日本社会党は大敗を喫した。選挙に臨んだ石橋政嗣委員長以下執行部はその責を負い、総辞職を表明した。後継委員長の選出にあたり、「女性党首で思い切ったイメージ・チェンジを」とする意見があり、これを軸に党三役による党内調整が進められたが、難航した。委員長選挙は、8月18日に委員長選挙出馬を表明した上田哲元教宣局長と、党三役から委員長選出馬要請を受け出馬表明した土井たか子副委員長の両者で争われることになった。社会党員86,000人による選挙の結果、土井たか子が圧勝。土井たか子は、日本の政党で初めての女性党首隣、9月8日に開かれた第51回社会党臨時大会で、第十代委員長に就任した。就任時に発した「やるっきゃない(やるしかない)」は、1986年日本新語・流行語大賞特別賞を受賞した。

1986年 / 昭和61年カテゴリの最新記事