カテゴリー: 1985年 / 昭和60年

  • 1985年7月27日

    1985年7月27日

    1985年(昭和60年)7月27日、『東京女子高制服図鑑』の第1刷が刊行された。東京の女子高校生の制服をイラストで集め、図鑑の形式にした書籍で、著者は森伸之、装丁は南伸坊、出版元は弓立社(ゆだちしゃ)、ソフトカバーで215ページ、当時の販売価格は1,200円だった。毎年のように改訂が行われ、1994年版までのロングセラーとなった。

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  • 1985年7月13日

    1985年7月13日

    1985年(昭和60年)7月13日、20世紀最大のチャリティーコンサート「LIVE AID(ライブ・エイド)」が開催された。

    開催された場所は2ヶ所。イギリスはロンドンのウェンブリー・スタジアム。アメリカはフィラデルフィアのジョン・F・ケネディ・スタジアム。

    ロンドンでのコンサートには7万2千人が、フィラデルフィアでのショーには10万人が訪れたと発表されている。また、約12時間にも及んだコンサートの模様は衛星中継で84カ国にて放送され、録画中継も含めると最大19億人が視聴したという。

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  • 1985年7月9日

    1985年7月9日

    1985年(昭和60年)7月9日、徳島ラジオ商殺し事件で刑事事件初の死後再審により徳島地裁が無罪判決。

    徳島ラジオ商殺し事件とは、1953年(昭和28年)に徳島県徳島市で発生した強盗殺人事件のことである。被害者の内縁の妻だった冨士茂子が犯人とされ、逮捕された。裁判にて懲役13年の判決が確定し、服役した。富士は、服役中から再審請求を開始した。1966年(昭和41年)に仮出所し、市民団体の支援もあり、再審請求を続けた。富士は、第5次再審請求中の1979年11月15日、腎臓がんのため死去した。享年69歳だった。

    富士の死後も再審請求は継続され、1980年(昭和55年)12月13日に徳島地裁が再審開始を決定、その5年後の1985年(昭和60年)7月9日に徳島地裁は無罪判決を出した。

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  • 1985年7月7日

    1985年7月7日

    1985年(昭和60年)7月7日、ウィンブルドン選手権男子シングルスにて、西ドイツのボリス・ベッカーが大会史上最年少の17歳7カ月で優勝。17歳の少年がノーシードから史上最年少での優勝は、大きな話題となった。

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  • 1985年7月3日

    1985年7月3日

    1985年(昭和60年)7月3日、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がアメリカで劇場公開。

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  • 1985年7月2日

    1985年7月2日

    1985年(昭和60年)7月2日、欧州宇宙機関(ESA)は、ハレー彗星の探査のため、ジオット探査機を打ち上げた。ジオット探査機は、1986年(昭和61年)3月14日、ハレー彗星の核から596キロメートルまで接近し、画像の撮影に成功した。

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  • 1985年のカレンダー

    1985年のカレンダー

    1985年 / 昭和60年(丑年・うしどし)

    1月/ January / 睦月

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    2月 / February / 如月

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    3月 / March / 弥生

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    4月 / April / 卯月

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    5月 / May / 皐月

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    6月 / June / 水無月

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    7月 / July / 文月

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    8月 / August / 葉月

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    9月 / September / 長月

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    10月 / October / 神無月

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    11月 / November / 霜月

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    12月 / December / 師走

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  • 1985年6月27日

    1985年6月27日

    1985年(昭和60年)6月27日、東京・上野動物園で、ホアンホアン(歓歓:メス)とフェイフェイ(飛飛:オス)が、人工授精で赤ちゃんを出産。日本で初めて誕生したパンダの赤ちゃんだったことから、チュチュ(初初、Chu Chu:オス)という名前が付けられた。出産から2日後、チュチュは母親の下敷きとなり、死亡した。

    その後、上野動物園では再び人工授精を試み、1986年(昭和61年)6月1日、ホアンホアンはトントン(童童:メス)を出産した。

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  • 1985年6月24日

    1985年6月24日

    1985年(昭和60年)6月24日、福岡県久留米市出身のアイドル歌手・松田聖子と俳優・神田正輝が「聖輝の結婚式」を挙げた。結婚式は東京都目黒区碑文谷にあるサレジオ教会(カトリック碑文谷教会)で、披露宴は東京都千代田区紀尾井町にあるホテルニューオータニで行われた。

    80年代を代表するアイドル歌手・松田聖子は1980年(昭和55年)4月1日に「エクボ(資生堂の洗顔クリーム)」のCMソング「裸足の季節」でデビュー、当時のキャッチフレーズは「抱きしめたい! ミス・ソニー」だった。「裸足の季節」はTBSの『ザ・ベストテン』でも最高11位と今ひとつだったが、1980年(昭和55年)7月1日に発売した2枚目のシングル「青い珊瑚礁」は『ザ・ベストテン』での第1位を初めて獲得、オリコンチャートでも最高第2位を記録した。1980年(昭和55年)10月1日に発売された3枚目のシングル「風は秋色」はオリコンチャート1位を獲得。年末には「青い珊瑚礁」で1980年末の第22回日本レコード大賞の新人賞を受賞、第31回NHK紅白歌合戦にも初出場し、「青い珊瑚礁」を披露した。

    デビューの翌年1981年(昭和56年)5月24日、松田聖子と郷ひろみの熱愛がスポーツ新聞で報じられた。報知新聞が一面で「聖子・郷結婚!」。日刊スポーツは芸能面で「結婚へ! 郷ひろみと松田聖子」と書き立てた。

    交際から3年半——。1984年(昭和59年)の『第35回NHK紅白歌合戦』、都はるみの引退が話題となったが、紅組白組それぞれ8組目に登場した松田聖子と郷ひろみも注目を集めた。「松田聖子さんには郷ひろみさん、今年最も話題を呼んだ二人の対戦です」

    年が明けて1985年(昭和60年)1月22日、この日発売された『週刊文春』で、松田聖子が郷ひろみとの別離を告白、芸能マスコミが騒然となった。映画の撮影中だった松田聖子は翌1月23日、東宝・砧スタジオで涙の記者会見を行った。この時「好きで愛し合って別れるんだから、今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうねって言いました」なる名言が飛び出した。

    しかし、この記者会見が行われた当時、松田聖子はすでに神田正輝との交際を始めていたとの話もある。実際、1985年4月には婚約会見を行い、6月には結婚と、怒涛の展開を見せたのであった。

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  • 1985年6月19日

    1985年6月19日

    1985年(昭和60年)6月19日、かつては「兜町の風雲児」と呼ばた中江滋樹(投資顧問会社・投資ジャーナルの元会長)が詐欺罪で逮捕。

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  • 1985年6月18日

    1985年6月18日

    1985年(昭和60年)6月18日、豊田商事会長・永野一男が大阪府大阪市北区天神橋の自宅マンションで殺害された。翌日の新聞各紙は一面で大きく報道された。

    豊田商事は現物まがい商法による悪徳商法によって被害者数は数万人、被害総額は2,000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として社会的に注目されていた。

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