カテゴリー: 1985年 / 昭和60年

  • 1985年6月11日

    1985年6月11日

    1985年(昭和60年)6月11日、ソビエト連邦のベガ計画で用いられた宇宙探査機・ベガ1号のフライバイプローブから切り離された降下モジュールが金星に到着した。モジュールは1,500kgの重さの直径240cmの球形で、ランダーとバルーン型の探査機から構成されていた。フライバイプローブは、金星をスイングバイし、彗星の到着を待った。

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  • 1985年6月8日

    1985年6月8日

    1985年(昭和60年)6月8日、兵庫県の南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県の鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊橋・大鳴門橋(おおなるときょう)が開通。

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  • 1985年6月5日

    1985年6月5日

    1985年(昭和60年)6月6日、川崎市で自転車に乗っていた10歳の男児がダンプカーに接触し転倒、両足を骨折する大怪我を負った。男児は、聖マリアンナ医科大学病院に救急搬送され、手術が行われようとしたが、手術に必要な輸血をエホバの証人の信者である両親が拒否。病院側は両親に対し説得を続けたが、両親の意向は変わらず、男児は約5時間後に出血多量で死亡した。

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  • 1985年5月31日

    1985年5月31日

    1985年(昭和60年)5月31日、第1回東京国際映画祭が開催。5月31日(金)から6月9日(日)の10日間。ヤングシネマ’85、大賞・都知事賞は相米慎二監督の『台風クラブ』(1985年8月31日、一般公開)が受賞した。

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  • 1985年5月29日

    1985年5月29日

    1985年(昭和60年)5月29日、ヘイゼルの悲劇。ヘイゼルの悲劇は、1985年5月29日にベルギー・ブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアムで行われたUEFAチャンピオンズカップ1984-85決勝のリヴァプール(イングランド)対ユヴェントス(イタリア)の試合前に、サポーター同士の衝突がきっかけとなり発生した群集事故である。この事故により39人が死亡、400人以上が負傷した。

    ヘイゼルの悲劇から10年後、エゼル競技場は150億ベルギー・フラン(当時のレートで5,000万ドル)を投じて再建・改称された。新競技場を1993年に逝去した国王ボードゥアン1世を記念してボードゥアン国王競技場と改名された。

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  • 1985年5月17日

    1985年5月17日

    1985年5月17日、1985年(昭和60年)5月17日、三菱南大夕張炭鉱にて、ガス爆発事故が発生した。死者62人、重軽傷者24人の大惨事となった。

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  • 1985年5月11日

    1985年5月11日

    1985年(昭和60年)5月11日、イングランドのウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォードにあるヴァリー・パレードで行われたフットボールリーグ3部最終節、 ブラッドフォード・シティAFC対リンカーン・シティFC戦で、火災事故が発生した。この事故により56人が死亡し、265人以上が負傷した。

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  • 1985年5月7日

    1985年5月7日

    1985年(昭和60年)5月7日、東京・両国国技館にて、第44代横綱・栃錦の還暦土俵入りが行われた。太刀持ちは二子山(元横綱初代若乃花)が、露払いは出羽海(元横綱佐田の山)が務めた。

    還暦土俵入りは、相撲において現役時代の最高位が横綱の元力士が還暦(60歳)を迎えた際に、「長寿祝い」として行われる特別な横綱土俵入りのことである。

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  • 1985年4月30日

    1985年4月30日

    1985年(昭和60年)4月30日、広島県福山市にて、トラック運転手(45歳)が自販機の上に置かれていたオロナミンCを飲み、5月2日に死亡するという事件が起こった。運転手の嘔吐物から、除草剤であるパラコートが検出された。これがパラコート連続毒殺事件の発端となった。

    1985年、日本各地でパラコートを用いた無差別毒殺事件が次々と発生し、その全てが未解決事件となっている。一連の事件は全12件とされ、最後の事件は1985年11月17日、被害者は、自販機の取り出し口にあったコーラを見つけて持ち帰り、それを飲んだ一週間後に死亡した埼玉県の女子高校生(17歳)だった。

    関連事件(模倣犯)も含めると全34件の事件が発生し、13人が死亡した。

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  • 1985年4月29日

    1985年4月29日

    1985年(昭和60年)4月29日、春の天皇賞にて、シンボリルドルフ (牡5歳、騎手・岡部幸雄)が1着となり、GI5勝目を達成、五冠馬となった。

    1984年(昭和59年)に皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞を制し三冠、さらに第29回有馬記念(1984年12月23日)にて1着。前述の天皇賞にてGI5勝目を達成した。

    その後、1985年11月24日のジャパンカップ、1985年12月22日の有馬記念を制したシンボリルドルフは、史上初の七冠馬となった。

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  • 1985年3月22日

    1985年3月22日

    1985年(昭和60年)3月22日、この日、厚生省のエイズ調査検討委員会は、アメリカから一時帰国したアーティストの男性を国内における「エイズ患者第1号」と認定したことを発表した。患者はアメリカ在住の男性同性愛者で、同居していたアメリカ人男性がエイズで死亡し、自身も感染したという。同委は「患者は日本滞在中に性的関係をもっておらず、通常の社会的接触ではエイズに感染することはないので、二 次患者の発生はないと考えてよい」とした。その前日の3月21日には、朝日新聞が血友病患者にエイズ患者がいたことをスクープしている。

    エイズが国内で報道されたのは、1981年(昭和56年)7月5日の朝日新聞とされている。その当時はまだエイズとは呼ばれず、「きわめて珍しいがん」と報じられたという。翌1982年(昭和57年)7月20日には、毎日新聞が、カポシ肉腫やカリニ肺炎など特殊で致命的な病気を発症する不思議な病気がアメリカでじわじわと広がり1年間に184人が命を落としたと伝えている。

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