1987年(昭和62年)11月29日、飛行中の大韓航空機が北朝鮮の工作員によって爆破されるというテロ事件が発生した。
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1985年(昭和60年)11月29日、過激派による国電同時多発ゲリラ事件が発生した。午前3時ごろ、首都圏と西日本の日本国有鉄道(国鉄)の鉄道施設に対し、ほぼ同時多発的に起こされた。首都圏や大阪府内など計8都府県内各地にある、国鉄の線路の通信・信号用ケーブル切断など首都圏6路線25か所、合計33カ所に亘って被害が発生した。被害を受けた路線は当日の夕方までにすべて復旧したが、首都圏で優等列車を含め2896本、大阪地区で378本の列車が運休した。これにより通勤通学客など約650万人以上に影響が出た。
また犯人グループ約120人が同日午前6時45分ごろ総武本線浅草橋駅(東京都台東区)に押しかけ、シャッターを強引にこじ開け構内に侵入、駅施設を破壊し、火炎瓶を投げつけて放火した。これによって同駅は駅舎を破損・焼損し、当日は終日客扱い不能となった。同駅には都営地下鉄浅草線も乗り入れているが、こちらには被害はなかった。
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1980年(昭和55年)11月29日、神奈川県川崎市高津区南部(現:宮前区の一部)に住む浪人予備校生(当時20歳)が、両親を金属バットで殴り殺すという痛ましい事件が発生した。高学歴エリート一家に起こった悲劇は世間の注目を集め、事件後の報道は過熱する一方だった。
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1983年(昭和58年)11月28日、中曽根内閣が衆議院解散。田中元首相の実刑判決により国会が空転、衆議院解散への流れとなった。この解散を受けて1983年(昭和58年)12月18日に行われた第37回衆議院議員総選挙で自民党は単独過半数を維持できず、政権維持のため新自由クラブと連立することとなった(第2次中曽根内閣が発足)。
1983年(昭和58年)10月12日に実刑判決(懲役4年、追徴金5億円)を言い渡された田中角栄は、衆議院議員辞職を拒否し、即日控訴を表明。選挙では、過半数割れした自民党とは対照的に新潟3区で自身最高の22万761票を獲得して1位当選を果たした。
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1982年(昭和57年)11月27日、自民党の総裁・中曽根康弘が第71代内閣総理大臣に就任し、第1次中曽根康弘内閣が発足した。第1次中曽根内閣は1983年(昭和58年)12月27日まで続いた。中曽根の就任には、当時ロッキード事件の被告だった田中角栄の影響が強く、田中派から多数が入閣した。社会民主連合の楢崎弥之助は「田中曽根内閣」と呼んだという。
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1989年(平成元年)11月26日、大相撲11月場所の千秋楽で小錦が琴ヶ梅を破り14勝1敗の成績で悲願の幕内初優勝を果たした。外国人力士の優勝は高見山以来17年ぶり2人目。
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1986年(昭和60年)11月25日、午前8時頃、東京都千代田区有楽町の東京交通会館の路面側に所在した三菱銀行有楽町支店(当時)で、現金輸送車が3人組の男に襲われ、現金約3億3000万円と有価証券が奪われた。犯人は、フランスの強盗団グループと判明し、フランス、メキシコで逮捕された。
当時の三菱銀行有楽町支店は後に銀座一丁目駅最寄りの東京三菱銀行京橋支店に統合され別のテナントが入居。同ビルの2階に「有楽町第二クイックコーナー」としてATMのみ設置となり、現在は三菱UFJ銀行「ATMコーナー有楽町」となっている。
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1989年(平成元年)11月24日、チェコスロバキア社会主義共和国にて、グスターフ・フサーク大統領、ミロシュ・ヤケシュ第一書記らチェコスロバキア共産党幹部全員が辞任し、共産党政権が事実上崩壊の日となった。翌25日には、約80万人もの人々がプラハのレトナーに集まり、民主化と反体制派ヴァーツラフ・ハヴェルの大統領就任を呼びかけた。ヴァーツラフ・ハヴェルは、1989年12月29日、満場一致でチェコスロバキアの大統領に選出された。
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1985年(昭和60年)11月23日、エジプト航空648便が重武装した国際テロ組織「アブ・ニダル」のメンバー3人(5人または6人との説もある)にハイジャックされる事件が発生した。飛行中、機内での銃撃戦により損傷した同機は、ルカ空港に着陸した。事件発生より25時間後に、エジプトの特殊部隊強行突入し解決を図ったが、乗客57名が死亡、34人が負傷する大惨事となった。
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1989年(平成元年)11月22日、日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)が家庭用ゲーム機・PCエンジンシャトルを発売した。当時のメーカー希望小売価格は18,800円だった。本機は、1987年(昭和62年)10月30日に発売されたPCエンジン(当時のメーカー希望小売価格は24,800円)の廉価版として発売された。
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1990年(平成2年)11月21日、任天堂が家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータの後継機としてスーパーファミコンを発売した。「スーパーマリオワールド(8,000円)」と「F-ZERO(7,000円)」が同日に発売された。スーパーファミコンは2003年(平成15年)9月30日に生産終了となり、最終的な出荷台数は日本で1,717万台、アメリカで2,335万台、その他の国で858万台、全世界累計出荷台数4,910万台だった。
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