1984年5月20日

1984年5月20日

1984年(昭和59年)5月20日、外国人初の関取・高見山が引退。

ハワイ・マウイ島出身の高見山は、高砂部屋にスカウトされ、1964年(昭和39年)2月22日に来日した。同年同年3月場所にて初土俵を踏んだ。

「外国人」として注目を浴びていた高見山は、初土俵から3年後の1967年(昭和42年)3月場所で新十両に昇進し、初の外国出身外国籍の関取となった。その力量も期待されるようになり、翌1968年(昭和43年)の1月場所で新入幕を果たし、史上初の外国出身外国籍の幕内力士となった。1969年(昭和44年)11月場所で小結に昇進。1972年(昭和47年)7月場所では13勝2敗の好成績で史上初の外国出身力士による幕内最高優勝を遂げた。翌場所には外国出身で初の関脇に昇進し、大関候補の一人と目されるようになったが、大関昇進は果たせなかった。

「40歳まで相撲をとりたい」、「(当時建造中だった)両国国技館で相撲をとりたい」と語っていた高見山だったが、1984年(昭和59年)5月場所、40歳まであと1ヶ月のところで力尽きて引退を表明、両国国技館で相撲をとる夢も果たせなかった。引退宣言は場所中に唐突に行われたため、相撲ファン以外も驚かせマスコミで大きく取り上げられた。同場所千秋楽の最後の一番(玉龍戦)は黒星だったが、満員の観衆から大声援を受け、花道を引き揚げる際には花束も贈呈された。引退に際して「20年間、相撲を取り続けてきたことを誇りに思う」「生まれ変わっても力士になりたい」と力強く語った。

高見山は、「ジェシー」の愛称でも親しまれ、その人柄・キャラクターからCMやテレビ番組にも多数出演していた。なかでも、松下電器産業 携帯型テレビ「トランザム」のCMで披露したタップダンスや、丸八真綿 「マルハッチ!」「二倍二倍、二枚二枚」のキャッチフレーズは大きな話題となった。

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