1980年5月19日

1980年5月19日

1980年(昭和55年)5月19日の衆議院解散は「ハプニング解散」と呼ばれている。与党野党ともに予測できない解散だった。

1980年5月16日、内閣不信任案が提出された。与党である自民党は「党内一致で不信任案を否決」、マスコミ各社は「内閣不信任案否決へ」などと報じた。だが、当日の午後6時50分、内閣不信任決議案は賛成243票・反対187票で56票差で可決されることとなった。自民党反主流派などが本会議を欠席したことが票に影響した。この時点で、政府は解散か総辞職かの道を選ぶことになるが、当日に動きはなかった。内閣不信任決議可決当日に衆議院を解散しなかったのはこの時だけである。

1980年5月19日、灘尾議長が本会議を開かずに議長応接室に各会派の代表を集め、解散詔書を朗読し、前回の選挙(*)からわずか7ヶ月余で衆議院は解散となった。

(*)全開の選挙は、1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙。この選挙で自由民主党は、選挙前より獲得議席が下回った。1979年11月6日に行われた首相指名選挙では自民党の投票先がほぼ二分されるという日本国憲法施行以来前代未聞の事態が起こり、1979年11月20日の第2次大平内閣の本格的発足まで自民党は党内で激しい争いがあった(四十日抗争)。

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