1980年(昭和55年)10月21日、プロ野球・巨人の長嶋茂雄監督が突然の解任。この日の朝、スポーツニッポンの朝刊一面に「巨人、長島解任 — 藤田新監督」の見出しが掲載された。朝の時点ではまだ事実とは言い難い状況だったが、この日の夕方になると解任は決定的となり、読売新聞本社で長嶋監督の退任記者会見が行われた。記者会見では「退任願いをしたい」「男としてけじめをつけたい」などの言葉もあったが、誰の目から見ても「解任」であることは明らかだった。
80s!
1980年(昭和55年)10月21日、プロ野球・巨人の長嶋茂雄監督が突然の解任。この日の朝、スポーツニッポンの朝刊一面に「巨人、長島解任 — 藤田新監督」の見出しが掲載された。朝の時点ではまだ事実とは言い難い状況だったが、この日の夕方になると解任は決定的となり、読売新聞本社で長嶋監督の退任記者会見が行われた。記者会見では「退任願いをしたい」「男としてけじめをつけたい」などの言葉もあったが、誰の目から見ても「解任」であることは明らかだった。
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1987年(昭和62年)10月20日、東証株式市場で前日比3836円安を記録。 前日(現地日付10月19日)のブラックマンデー(ニューヨーク株式市場で史上最大規模)の株価暴落の影響。世界的な株価暴落。
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1988年(昭和63年)10月19日、プロ野球の試合、川崎球場にてロッテオリオンズ対近鉄バファローズのダブルヘッダー(1日に2試合を行うこと)が開催された。近鉄にとってはこの2試合に連勝すればリーグ優勝を勝ち取るまさに大一番だった。近鉄は、第1試合では勝ちを収めたが第2試合を引き分け、優勝を逃した。すでに全日程を終えていた西武ライオンズの優勝が決まった。
最終順位は以下の通りで、西武と近鉄のゲーム差は0、西武が勝率差で優勝となった。
西武 73勝51敗6分 勝率.589(.5887)
近鉄 74勝52敗4分 勝率.587(.5873)
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1989年(平成元年)10月18日、アメリカの木星探査機「ガリレオ」が打上げられた。天文学者のガリレオ・ガリレイにちなんで名付けられた「ガリレオ」は、スペースシャトル・アトランティスの貨物室に搭載されて打ち上げられた。
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1989年(平成元年)10月17日、アメリカ・カリフォルニア州のロマ・プリータ山地でマグニチュード7.1規模の大地震ロマ・プリータ地震が発生した。地震の名前はサンノゼ市の南にあるロマ・プリエタ山付近が震源地だったことによる。ロマ・プリータ地震は、サンフランシスコ周辺での被害が大きかったため、日本ではサンフランシスコ地震と呼ばれることもある。サンフランシスコ市内では、海岸部に位置するマリーナ・ビーチで液状化現象が発生、木造建物などが倒壊し、火災も発生した。サンフランシスコの対岸にあるオークランド郊外を走る高速道路880号では、高架橋が倒壊した。この地震による死者は62名、負傷者は3,208名だった。
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1985年(昭和60年)10月16日、阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝。この日の試合、神宮球場で行われたヤクルト対阪神戦で5対5の引き分け、リーグ優勝が決定した。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 計 | |
阪神 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 |
ヤクルト | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
狂喜したファンらがカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ込んだ。その後、阪神タイガースは17年連続でリーグ優勝を逃し、都市伝説「カーネル・サンダースの呪い」が定着した。
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1984年(昭和59年)10月15日、ナイキからNBA選手マイケル・ジョーダンとのコラボレーションモデル、後に伝説となるバスケットボールシューズ「エア・ジョーダン・シリーズ」の第1作が発売された。
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1980年(昭和55年)10月15日、歌手の山口百恵が引退。この日、所属していた芸能プロダクション・ホリプロの20周年記念式典が行われ、その席で「いい日旅立ち」を披露。その後、午後8時半過ぎに引退記者会見が開かれた。この会見はこの当日放送された『水曜スペシャル特番 山口百恵 今夜 旅立ち!』(テレビ朝日)で番組の終わりに一部生放送され、これが芸能人として事実上最後のテレビ生出演となった。引退時は21歳、7年半の芸能活動で、シングル31作を発表、累計の売上枚数は1,142万枚だった。
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1981年(昭和56年)10月14日、フジテレビでアニメ「うる星やつら」が放映開始。放送時間は水曜日19:30 – 20:00。原作1巻から29巻までの内容がテレビアニメ化されている。1986年(昭和61年)3月19日まで、全195回が放送された。放映当初のチーフディレクターは当時スタジオぴえろの社員だった押井守が担当した。
高橋留美子による原作のマンガは週刊少年サンデーにて1978年(昭和53年)39号から連載され、第26回(1980年度)小学館漫画賞少年少女部門を受賞している。連載は1987年(昭和62年)まで続き、単行本は全34巻が発行された。
オープニング主題歌の「ラムのラブソング」もヒットし、その後、数多くのシンガーにカバーされた。劇場公開アニメは全6作が製作された。
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1983年(昭和58年)10月14日、東北大学附属病院で日本初の体外受精児(試験管ベビー)が誕生した。新生児は帝王切開で生まれ、体重は2544グラム、身長44センチの女児であった。その日の新聞、テレビはこのニュースを一斉に伝えた。
1983年(昭和58年)3月14日、東北大学医学部産婦人科の鈴木雅洲(まさくに)教授は、日本初の体外受精に成功したと発表した。この発表以降、日本初の試験管ベビー誕生が注目されることとなったが、なかには否定的な声も少なくなかった。
しかし、試験管ベビーが無事に誕生したことにより、この出産は、文字通り明るいニュースとなった。試験管ベビーをめぐる重苦しい雰囲気を吹き飛ばした。
試験管ベビーの両親はマスコミに出ることを嫌い、静かに見守ってほしいとの手記を発表したが、毎日新聞だけは両親の住所や氏名、家庭の状況までを新聞に掲載した。毎日新聞は「実名報道を行ったのは、この明るいニュースに際し、今後生まれてくる試験管ベビーが特別な扱いを受けないようにするため」と弁明した。
しかし、周囲からは実名報道に批判と抗議が殺到した。またプライバシーを守れなかった東北大産婦人科にも批判の声が集中した。鈴木教授は家族の氏名が明らかになった以上、患者の容体を発表することは守秘義務違反に触れるとして、途中から患者の容体の発表を中止。さらに試験管ベビーの経過について予定していた学会での発表を取りやめた。
体外受精第1号の赤ちゃんは、2年後に急性肺炎で死亡した。
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