1985年(昭和60年)5月31日、第1回東京国際映画祭が開催。5月31日(金)から6月9日(日)の10日間。ヤングシネマ’85、大賞・都知事賞は相米慎二監督の『台風クラブ』(1985年8月31日、一般公開)が受賞した。
80s!
1985年(昭和60年)5月31日、第1回東京国際映画祭が開催。5月31日(金)から6月9日(日)の10日間。ヤングシネマ’85、大賞・都知事賞は相米慎二監督の『台風クラブ』(1985年8月31日、一般公開)が受賞した。
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1988年(昭和63年)5月30日、沖縄県下地島空港で片方のエンジンを止めた状態での離陸訓練をしていた全日空のボーイング737-200型機が、滑走路を逸脱し、空港エプロン上で停止した。同機には操縦教員および練習生2名、合計3名が搭乗していたが死傷者はなかった。
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1985年(昭和60年)5月29日、ヘイゼルの悲劇。ヘイゼルの悲劇は、1985年5月29日にベルギー・ブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアムで行われたUEFAチャンピオンズカップ1984-85決勝のリヴァプール(イングランド)対ユヴェントス(イタリア)の試合前に、サポーター同士の衝突がきっかけとなり発生した群集事故である。この事故により39人が死亡、400人以上が負傷した。
ヘイゼルの悲劇から10年後、エゼル競技場は150億ベルギー・フラン(当時のレートで5,000万ドル)を投じて再建・改称された。新競技場を1993年に逝去した国王ボードゥアン1世を記念してボードゥアン国王競技場と改名された。
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1987年(昭和62年)5月28日、ロシアの首都モスクワの都心部にある赤の広場に、西ドイツの青年マチアス・ルスト(当時19歳)の操縦するセスナ機が強行着陸する事件が起きた。
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1983年(昭和58年)5月26日、秋田県の能代市西方沖80 km深さ14 kmの地点でM7.7の地震が発生した——日本海中部地震である。地震発生後、日本海側では10メートルを超える津波が押し寄せ、多数の被害をもたらした。地震による死者は104人であったが、このうち100人は津波によるものと記録されている。
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1980年(昭和55年)5月24日、JOC(日本オリンピック委員会)は臨時総会を開き、モスクワオリンピックへの不参加を決議した。
1980年モスクワオリンピックは、1980年7月19日から8月3日までの16日間、ソビエト連邦の首都モスクワで開催されたオリンピック競技大会。共産圏、社会主義国では初の開催となった。
当時の冷戦下において、前年1979年12月に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、対立するアメリカ合衆国のカーター大統領は、1980年1月にボイコットを主唱した。日本をはじめ西側諸国約50カ国が不参加を決めた。
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1980年(昭和55年)5月23日(現地時間)、黒澤明監督の『影武者』がカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(グランプリ)を獲得(日本時間では5月24日)。第33回カンヌ国際映画祭は1980年(昭和55年)5月9日から22日にかけて、フランスのカンヌで開催された。カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭は、世界三大映画祭と称される。
『影武者』は、1980年(昭和55年)4月26日に公開された日本の歴史映画である。監督は黒澤明、主演は仲代達矢。ハリウッドの大手スタジオから世界配給された最初の日本映画で、黒澤を敬愛するフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスが外国版プロデューサーとして参加した。
主役の勝新太郎の降板騒動など公開前から話題を呼び、当時の日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位を記録、1983年に蔵原惟繕監督の『南極物語』で抜かれるまで破られなかった。
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