1990年1月18日

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1990年1月18日

1990年(平成2年)1月18日、当時長崎市長であった本島等が右翼団体幹部に銃撃され、全治1か月の重傷を負った。

本島市長は、1988年(昭和63年)12月7日の長崎市議会において、「(昭和)天皇にも戦争責任はあると思う」と発言。これを各マスコミが報道し、右翼団体からの非難が集中した。街宣車が長崎市に集結、本島に対して大々的に抗議活動を行った。脅迫事件も13件発生し、6名が逮捕された。本島は発言を撤回することはしなかったが、発言から1年が経過し、昭和天皇も崩御あって、右翼団体による抗議活動も終息したかのように見えた。市長側からの要請で長崎県警察による身辺警護も解除された。

1990年(平成2年)1月18日午後3時ごろ、本島が長崎市役所玄関前で公用車に乗り込もうとしたところ、背後から近付いてきた右翼団体の幹部に背後1メートルの至近距離から銃撃された。弾丸は左胸部に命中したが、肋骨に当たったため弾道が変わり心臓や大動脈などを外れ貫通したため、全治1か月の重傷を負ったものの、一命を取り留めた。

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