1989年12月16日

1989年12月16日

1989年(平成元年)12月16日、中華人民共和国の民間航空機がハイジャックされるという事件が起こった。犯人の中国人男性(当時35歳)は妻子を連れて搭乗しており、爆発物を所持していると脅迫し——実際は丸腰であったが、韓国のソウル行きを要求した。

機長はソウルに向けて飛行したが、中国と国交を結んでいなかった韓国政府は強硬に着陸を拒否、戦闘機をスクランブル発進させたという。機長は韓国領空への進入を断念、済州島上空から福岡へ向けて進路を変更し日本領空へ向かった。スクランブル発進した自衛隊機の監視の中、福岡空港へ着陸した。

福岡空港にて客室乗務員が犯人に「韓国に到着した」とウソをつき、隙を見て機体後部の非常口から犯人を滑走路上に突き落とし、犯人は福岡県警察福岡空港警察署に逮捕された。犯人は骨折などの重傷を負い福岡市内の病院へ搬送された。

ハイジャック機は犯人以外の乗客を乗せ、翌12月17日未明に福岡空港を離陸、北京首都国際空港に帰還した。

ハイジャック犯はは容体が回復後の1990年1月に、福岡空港から羽田行きの日本航空機で東京へ移送された。

日本の捜査当局に対し、犯人は「6月に発生した天安門事件でデモに参加したため2か月間身柄を拘束されていた。そのため最終的には大韓民国に亡命したかった」と供述し政治亡命が目的のハイジャック事件であったと主張した。そのため日本国内からは政治犯の引渡しを禁止した逃亡犯罪人引渡法に該当するものであり、もし中華人民共和国に送還したら政治犯として死刑になるおそれがあり、人道上許さないとの声が人権団体などから起きた。

そのため前例のない判断を司法当局は迫られたが、東京高等裁判所第5特別部は1990年4月20日にハイジャック犯罪を重視(中華人民共和国側は犯人は天安門事件とは別の容疑で拘束されていたと主張していた)し、中華人民共和国への身柄引き渡しを決定した。

犯人は1990年4月28日に中華人民共和国政府に身柄を引き渡され本国に送還された。中華人民共和国側は国際的世論を考慮したためか公開裁判で審理を行い、犯人に対し北京市中級人民法院は7月18日に懲役8年、政治権利剥奪2年を言い渡し上訴がなかったためそのまま確定した。

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