1986年6月2日

1986年6月2日

1986年(昭和61年)6月2日、中曽根総理大臣は衆議院の解散を断行、俗に死んだふり解散と呼ばれている。

1986年5月27日、在任4年目の中曽根総理大臣は、6月2日に臨時国会を召集する事を閣議決定した。国会が召集された6月2日に野党は議院運営委員長に中曽根首相の臨時国会召集理由の説明を求めたものの自民党はこれを拒否。野党が反発して本会議が開けない中で、解散詔書が内閣から坂田議長に届き、議長応接室で自民党と新自由クラブ議員の一部議員を前にして、坂田議長が解散詔書を読み上げる形で衆議院が解散された(議長応接室における衆議院解散はこの年以後、現在まで行われていない)。

これを受けて政府は7月6日に行われることになっていた第14回参議院議員通常選挙と同時に第38回衆議院議員総選挙を行うことを閣議で決定し、史上2度目の衆参同日選挙となった。

1986年7月6日に行われた第38回衆議院議員総選挙は、6年ぶり2回目の衆参同日選挙となった。この衆院選挙で自民党は、公認候補のみで300議席を獲得。この数字は自民党結党以来の最高記録であり、追加公認を含めると304議席となった。この記録は2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙において、民主党が単独で308議席を獲得するまで、1つの政党が保有する議席数としては戦後最高であった。

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