1979年の10大ニュース

1979年の10大ニュース

1979年(昭和54年)は、どんな年だっただろう。多くの人々の記憶を呼び起こすキーワードのひとつが「戦後最大の入試改革」ではないだろうか。「マークシート」や「足切り」などの言葉とともに語られる「共通一次学力試験」が始まったのが、1979年(昭和54年)だった。

10大ニュースという括りでは収まりきらなかったが、「うさぎ小屋」という言葉が話題になったり、海の向こうでは「スリーマイル島原発事故」が起こったり、夏を前に当時の大平首相が「省エネルック」をお披露目したりと様々な出来事が話題となった。

ウォークマンも金八先生も1979年(昭和54年)生まれだ。虎が逃げ出し、ネズミ講は禁止になり、小林繁投手は22勝を達成し最多勝・沢村賞を獲得したが、伝説となったのは広島カープを日本一に導いた江夏豊投手だった。

第一回東京国際女子マラソンが開催され、自動車電話サービスが東京23区内でスタートしたのも、1979年(昭和54年)だった。

1979年(昭和54年)7月11日東名・日本坂トンネル事故

1979年7月11日午後6時40分頃、静岡県焼津市野秋の東名高速道路下り線の日本坂トンネル(全長2045メートル)内で、大型トラック、乗用車など7台が玉突き衝突。トンネル内は、約65時間もの間、爆発、炎上を繰り返し、死者7人、被災車両189台の大事故となった。

1979年(昭和54年)1月26日〜28日三菱銀行猟銃人質事件

1979年1月26日の午後、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店にサングラス、白マスクの男が押し入り、猟銃を乱射、「5000万円出せ」と要求した。男は、制止しようとした銀行員、突入した警官ら4人を次々と射殺し、行員と客の合わせて37人を人質に立てこもった。28日の朝、大阪府警の突入部隊が犯人を狙撃。犯人は病院に収容された後、死亡。

1979年(昭和54年)6月28日〜29日東京サミット

1979年6月28、29の両日、アジア地域で初めて第5回先進国首脳会議が開催された。日本、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、カナダの7カ国と欧州共同体(EC)の首脳が参加。警備のため、1日あたり平均26,000人もの警察官が動員された。東京サミットでは、その直前に石油輸出国機構(OPEC)が”20ドル原油時代”を決定したことに遺憾の意を表明、石油の消費節約、輸入規制などを趣旨とする「東京宣言」と、インドシナ難民問題についての特別声明を採択した。

KDD事件

国際電信電話会社(KDD)社員による貴金属、美術品などの密輸事件が発覚。警視庁は12月04日から05日にかけて同社本社などを関税法違反の容疑で家宅捜索した。その後、3年間で58億円という巨額の交際費使用と、その一部による政界工作疑惑が浮上。中心人物と見られた板野学前社長が翌年04月に業務上横領容疑で逮捕されたが、疑惑事件摘発は不発に終わり、裁判では同前社長に物品横領による一部有罪が確定しただけだった。

総選挙、自民敗北

1979年10月7日に行われた第35回衆議院議員総選挙で、自民党は安定多数にはほど遠い248議席しかとれず、惨敗。無所属の当選者を含め257議席となった。一般消費税導入を争点に掲げた大平首相は「国民のバランス感覚は絶妙」と敗北宣言した。

ランラン死亡

東京・上野動物園のジャイアントパンダのメス、ランラン(10歳)が1979年8月31日に発病。急性ジン不全に尿毒症を併発して5日後の1979年9月4日に死んだ。ランランはオスのカンカンとともに、1972年の秋に日中国交回復を記念して中国から贈られ、全国にパンダ・ブームを巻き起こした。死後、ランランは胎児を宿していたことが判明した。

自民抗争、大平新内閣発足難航

第2次大平内閣の発足は難航した。総選挙敗北の責任をめぐり、福田、中曽根、三木派などの反主流派が大平正芳首相退陣を要求。大平政権支持の主流派、大平・田中連合軍との抗争が激化した。反主流派は福田赳夫氏を統一候補にしたため、1党から2人の首相指名候補という分裂騒ぎとなった。11月6日の衆院本会議で大平首相が勝ったが、混迷は組閣、党人事に及び、第2次大平内閣の誕生は3日後の9日となった。

1979年(昭和54年)8月2日〜28日神野寺トラ騒動

1979年8月2日の夜、千葉県君津市の鹿野山神野寺の動物園から、オス、メス2頭のトラが脱走した。メスは2日後に射殺されたが、オスはなかなか見つからず、27日後に発見、射殺された。捜索には、警察官、猟友会員などのべ7500人が動員され、弁当代などで1000万円が消えた。猛獣を客寄せに使っていた寺の商法が批判され、猛獣ペットの規制などの問題を残した。

航空機疑惑

米証券取引委員会の報告書をきっかけに、1979年1月、東京地検が捜査を開始した航空機売り込みをめぐる商社・日商岩井の疑惑事件は、担当常務の自殺(1979年2月1日)、時効などの壁で、1979年4月2日、海部八郎前副社長の逮捕(外為法違反容疑)にとどまり、政府高官には及ばなかった。捜査で判明した松野頼三代議士への日商岩井からの成功報酬について、松野氏は1979年5月14日の国会の証人喚問で「政治献金」と弁明したが、結局同士は議員を辞職。1979年10月の総選挙で再出馬したが落選した。海部氏は議院証言法違反、外為法違反で起訴され、有罪が確定、1994年6月に死去した。

日本鉄道建設公団など官公庁不正続発

日本鉄道建設公団の組織ぐるみのカラ出張を皮切りに、官庁、公団、自治体の不正問題が続々と明るみに。カラ出張、カラ超勤、カラ会議にヤミ賞与、ヤミ休暇とカラやヤミが横行した。この他、大蔵省の過剰接待や公金流用など、不正は環境庁、総理府、国鉄、自衛隊などにもおよび、役人天国の腐敗ぶりを見せつけた。会計検査院の1978年度決算検査報告では、鉄建の不正経理2億7000万円をはじめ、税金の無駄遣いは270億円にも達した。

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