1990年8月2日、イラク軍がクウェートを侵攻・制圧し、8日に国家統合を宣言した。これに対してアメリカを中心に西側各国はイラク軍のクウェートからの撤収とクウェートの原状回復を要求、ペルシャ湾方面に派兵して圧力をかけた。背景には、中東石油利権の確保と欧米キリスト教勢力と中東イスラム教勢力の歴史的確執も指摘される。1991年1月17日、欧米軍を主力とする多国籍軍はイラクに対して開戦、イラク軍をクウェートから撤収させただけでなく、イラクの軍事・産業施設を広範に破壊した後、1991年2月18日に停戦に至った。中東諸国のうち、湾岸の王制産油国とシリア、エジプト、モロッコ、トルコなどが欧米軍に協力、イランはほぼ中立を守った。ヨルダン、イエメン、パレスチナ解放機構(PLO)は、明確にイラクを支持した。イラクはイスラエルに直接ミサイル攻撃を加え、イラク包囲網の分断を図ったが、アメリカはイスラエルの反撃を懸命に抑え、ミサイル迎撃ミサイル「パトリオット」を急ぎイスラエルなどに配備した。
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1991年 / 平成3年
1991年の話題「湾岸危機・湾岸戦争」
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